小田原オペラとは


『小田原オペラ』は、文化都市 小田原にふさわしい、小田原という地元に根付き、小田原の方々に愛されるオペラになる!という決意を込めて命名致しました。

小田原という所は、海あり山あり、とてもとても素晴らしい土地、住みやすい土地です!ただ、音楽ファンからすると少し微妙な所に位置しています。

と申しますのも、

新幹線を使えば、都内の有名ホールまで1時間あれば、在来線各種を使っても2時間あれば行くことができる。

この距離って微妙なんです。

良いものを聴くなら、東京へ行く。
また、行ける距離。

東京には素晴らしいホールがたくさんあります。オペラを観るなら、初台の新国立劇場、上野の東京文化会館などなど。

良い公演を観るためなら、東京に出る。
また、出られる距離、なんです、小田原は。

ホールのハードとしての面だけではなく、ソフトの面からも、ココ小田原でやるなら、ココならではのホンモノを創らなければならない!ココでしか見られないオリジナルなオペラを見て頂けるようにしなければ!!!

今はテクノロジーの素晴らしい進化のおかげもあって、世界中が“グローバリズム”で広く大きくスピーディに繋がっています。

そんな今だからこそ、“ローカリゼーション”が大切だと考えているんです。

“広く世界と繋がった現代”だからこそ、逆にその土地土地の濃すぎる個性を出し続け、カルピスをここぞとばかり濃ーく作る。
日本だって、大正時代くらいまで、日本を出た事のない方や、それどころか、自分の村を出た事のない方だっていっぱいいらっしゃった。

そして、そこここで、その土地土地の文化が醸成されていった。

もちろんそこには、閉塞感もあったでしょう。
ですが、“自由を制限することで生まれる、計り知れない自由“があったこともまた事実だろうと思います。文化のテロワールというような。

その『特濃のカルピス』を、他の場所、開かれた世界に繋げていって、そして、他の地域からの“特濃”をどんどんもらって更に広がっていく。その意味でのローカライゼーション!!閉じこもろうとするのではなく、外に広がっていくための地域化・局地化!
その意味においても、“オラがまちのオペラ“たる小田原オペラの意義を感じています。

ドイツなどでは、歌劇場にもランクがあります。世界の有名歌手たちが歌い演じにくるS級歌劇場、次にA級の歌劇場があり、そのあとさらに、その街その街に根付いた歌劇場が続きます。
ここは、“おらがまちのオペラ劇場“です。地元に根付いた、地元の方たちに愛されている歌劇場です。
この歌劇場では、例えばイタリアオペラであっても、地元の言葉に訳して歌われます。例えば、ドイツの歌劇場なら、ドイツ語に訳して歌われるんです。
今は字幕を出すことが容易にできるようになりましたから、なかなか、それぞれの母国語に訳してのオペラは少なくなったようですが。
小田原オペラはここも目指したいんです!つまり、日本語歌詞でのオペラ公演です!

日本にオペラが入ってきてはや140年。その中で、熟成され、日本ならではの、日本独自のオペラの様式も作られてきました。
野球が日本に伝えられたのは明治5年だそうです。1872年。日本初のオペラは、明治9年、1876年だそう。日本に於ける歴史は、オペラと野球はほぼ同じです!!

この“オペラ“を、外来文化・舶来物として、わからなぁーいと遠ざけてしまうのではなく

面白いから好き!つまらないから嫌い!!と

スポーツなら、強いから好き、弱いから嫌い、弱いけど好きなどなど

ワイワイ語り合いながら、酒を酌み交わしながら語る!

そんな地域密着型のオペラに、小田原オペラはなりたいんです!!!